真珠、時々パワーストーン

真珠を中心にパワーストーンや手造りアクセサリーなどを紹介したいと思います。僕の夢は真珠で日本を救うことです。真珠が愛と調和の宝石になれるように努力します。

御木本幸吉以前の真珠王

今回は御木本幸吉さんが真珠王になる前の真珠王「レオナール・ローゼンタール」について触れていきたいと思います。

パリの真珠王とも呼ばれたレオナール・ローゼンタール。1905年に御木本幸吉さんが真円真珠の養殖に成功するまでの間、真珠を独占し、コントロールをしてたと言っても過言ではありません。

「真珠の世界史」という本からレオナール・ローゼンタールの真珠の独占計画について話したいと思います。

当時の天然真珠の産地としてはペルシア湾とマンナール湾、そしてベネズエラでした。レオナール・ローゼンタールらフランスの真珠ディーラー達は真珠の産地を買い取り、真珠市場を独占したのです。

その結果、マンナール湾の真珠貝が絶滅し、ペルシア湾真珠貝も残りわずかな状況でした。フランスの真珠ディーラー達はインドやバハレーン、アラビア諸国、ベネズエラの首長を訪問し、真珠を直接買い付けしたのです。中でも頂点に君臨したのがレオナール・ローゼンタールだったのです。

彼はのちに真珠の産地を抑え、真珠市場を独占するという野望を持っていました。弟をペルシア湾に派遣して買い付けを行おうとします。それは、イギリス人とアラブ人が築き上げた関係を壊そうとしていたのです。最初の三年間は真珠を見せないなどイギリス人は抵抗しますが、しかし、フランスから持ち帰った小銭銀貨で水増しした大量の現金箱を12匹のロバの隊列で運ぶ作戦によりあえなくイギリス人は敗北、アラブ人をフランスに奪われてしまったのです。特に武器の贈り物にアラブ人は喜んでいたようです。しかし、コレラなどの病気やいろいろな悪条件から真珠の買い付けは想像以上の苦労がありました。そして、それぞれ2000万フラン、日本円にして32億相当の真珠の買い占めに成功したのです。

そして、彼はついにジュエリーショップの真珠を買い付けに出ます。まずはパリの店から始まり、ついにはアメリカや中国の真珠を買い占め世界の真珠市場を支配するようになります。しかし、彼の真珠市場の支配はそう長くは続きませんでした。1905年に御木本幸吉さんら日本の養殖真珠が登場するとあっという間に彼の真珠の独占計画はつぶれてしまいました。ローゼンタールにとっては日本の養殖真珠の登場は全くの想定外だったのでしょう。ローゼンタールは養殖真珠の敗訴運動で抵抗しますが、最終的には日本勢につぶされました。あの時、日本の真珠も買い占めていれば状況は変わっていたかもしれません。

このようにローゼンタールの世界の真珠市場の支配は短い期間で終わってしまったのです。大きな野望は短いという言葉がありますが真珠でもまさにその通りになりましたね。野望はこつこつと小さくしていかないとですね。