2日前、ミキモト真珠島に行ってきました。結構な見ごたえがあったです。ここで1つ疑問が。真珠養殖は志摩の英虞湾で行われているのに、ミキモト真珠島はなぜ鳥羽にあるのか。今回はその疑問を紐解いてみましょう。
この島は元々、相島と呼ばれていたらしいです。しかし、1893年の7月にこの場所で御木本幸吉さんが世界で初めて真珠の養殖に成功すると、養殖真珠発祥の地としてその島の価値は一気に跳ね上がったのです。
1920年に帝国汽船という海運会社が相島を購入し、埋め立てられていきました。しかし、真珠産業に期待をかける業者・町民の反対も強いことや1927年に親会社である鈴木商店が破綻したことを受け、相島は鳥羽に買い戻されます。そして、その2年後の1929年にその島はミキモトに買収され、1951年に観光地化、レジャー施設としてミキモト真珠島が開島し、1970年にパールブリッジが開通、そして1985年に真珠博物館を開館し、1993年には御木本幸吉記念館を開館して今に至るのです。そして、この島のおかげで鳥羽水族館が開館したという逸話もあります。
結論を言うとなぜミキモト真珠島が鳥羽にあるのかと言うと、幸吉さんの地元であることと世界で初めて真珠の養殖に成功した場所だったからです。現在では真珠養殖のほとんどは英虞湾で行われていますが、初めて真珠ができた場所であれば、記念館が置かれるのも納得でしょうね。