今回はパリ真珠裁判について話していきたいと思います。
パリ真珠裁判は御木本幸吉さんが1911年に養殖真珠をヨーロッパに広めようとしてパリやロンドンに店を出したことがきっかけでした。
当時のヨーロッパの真珠は天然真珠でしたから幸吉さんの養殖真珠がヨーロッパで出回り始めると、今の天然真珠の価値が低下してしまうのではないかと宝石商が恐れをなし、1921年には「養殖真珠は模造品だ」というレッテルを貼り全世界が注目する3年間にもおよぶ大規模な裁判にまで発展したのです。
この裁判はミキモトパリ支店のポールさんが宝石商卸売業者組合に対して、150,000 フランの損害賠償を請求する訴訟でした。ヨーロッパ側の代訴人ボージェ、日本側の代訴人ギューを立てて、弁護人を伴って争われました。この時養殖真珠が天然真珠と同じかどうかを鑑定した人はオックスフォード大学のリスター・ジェムソン博士、ボルドー大学のH. L. ブータン教授、スタンフォード大学のダビッド・ジョルダンとされています。
その結果「養殖真珠は天然真珠と本質的に変わらない」という判決で日本側の全面勝訴で幕を下ろしました。その結果、ミキモトの真珠の評判は世界中を席巻し、全世界に愛される真珠のジュエリーブランドになったそうです。
しかし、当時の養殖真珠は採苗から浜揚げまで5年弱もの歳月をかけており、真珠層の厚さが1.5ミリ程度でした。しかし現在では、養殖期間が半年の物もあり、真珠層の厚さが0.2ミリしか無い養殖真珠もあります。
現在の養殖真珠でしたら「天然真珠と変わらない」と認定されす、敗訴していたかもしれない、そう思うと悶々します。
一度、養殖真珠とは何かというのに立ち返ってみる必要があるのかもしれません。