今回は御木本幸吉さんの実家であるうどんの阿波幸について語りたいと思います。
幸吉さんが真珠の養殖に成功してジュエラーになる前はうどん屋である阿波幸の店主でした。ではその阿波幸はどんなうどん屋さんだったのでしょうか。
阿波幸のある鳥羽は伊勢神宮に近かったため早くて腹持ちのいい伊勢うどんが提供されていたと思われます。
また、当時の阿波幸のうどん値段は1杯8厘で現在の円に換算すると1杯160円でした。当時としてはかなりの繁盛店だったようで、幸吉さんが真珠の養殖実験に没頭している間は妻のうめがうどんを大忙しで作るほどでした。しかし、1896年に半円真珠の特許と妻のうめが亡くなり、阿波幸は廃業となってしまいました。もし、阿波幸が続いていたら一大飲食店に成長していたのかもしれませんね。
うどんと真珠・・・白い数奇な運命だったのかもしれませんね・・・