真珠、時々パワーストーン

真珠を中心にパワーストーンや手造りアクセサリーなどを紹介したいと思います。僕の夢は真珠で日本を救うことです。真珠が愛と調和の宝石になれるように努力します。

今の真珠の養殖方法は関西人が作った

丸くてかわいい真珠。そんな世界共通の真珠の養殖方法は何だと思いますか?

そう、別の貝の外套膜を核とともに母貝に挿入する手法がとられています。

引用元 https://www.doi-pearl.co.jp/culture

真珠といえば御木本幸吉さんが思い浮かびますが、実はこの手法、関西人か開発した手法なんです!!

引用元 https://www.hamaage.com/about_iseshima_pearl/

この手法を開発したのは西川藤吉という人で彼はなんと大阪人なんです!!「ピース式」という養殖法で彼の死後である1909年に特許を取得しています。その後、この手法が効率が良いことが分かり、全世界の養殖場に広まっていったんだとか・・・

僕はダイヤモンドを東京に例え、真珠は大阪に例えています。なんともこの一致感・・・

それはさておき、どうして彼がこの手法を開発したのか探っていきましょう。

彼は東京帝国大学で水産動物学を専攻し、卒業後は農商務省水産局技師として、御木本幸吉さんの恩師である箕作佳吉博士や飯島魁両博士の指導の受け、真円真珠養殖の研究に従事しました。そして、1903年に幸吉さんの次女と結婚、この年の3月1日から6月30日迄開かれた第五回内国勧業博覧会の堺会場に設置された博覧会付属堺水族館に主幹として参加しました。そして、御木本研究所で見事に真円真珠形成の原理の解明に成功します。そこで生み出されたのが別の貝の外套膜を核とともに母貝に挿入するという「ピース式」の考案です。しかし、特許を巡り、外套膜に注射針を用いて銀を注射し粒粒状の核として用いる「誘導式」養殖法を開発した見瀬辰平との間で特許権抵触問題が起きてしまい、結果的に御木本の研究所を去る事になります。その後は淡路の自家実験所と三崎の東京帝大臨海実験場で研究を続けました。そして、病気のためこの世を去ります。

その後、彼が出した特許が登録され、この手法が効率が良いことが分かり、全世界の養殖場に広まりました。

彼は現在の養殖法の開発するまでには大きな努力と挫折がありました。彼がいなかったら、現在の真珠は無かったかもしれません。真珠好きの関西人の僕としては彼の功績は忘れません。僕ももっと真珠の勉強をして10mm以上の大珠アコヤ真珠を養殖して、そのネックレスをダイアナ妃を始めとする人たちに丸くてかわいい真珠を送りたいです。とにかく、真珠好きの関西人なら現在の真珠養殖の基礎を作った西川藤吉さんを自慢してもええんとちゃいます?