7月11日は何の日か知っていますか?
そう、真珠記念日です。
真珠のミキモトの創業者である御木本幸吉さんが世界で初めて真珠の養殖に成功した日なんです!!しかも、今年で130周年という記念すべき年なのです!!では、今の真珠の養殖法を開発するまでにどんな困難が待ち受けていたのでしょうか。
1888年、まずは真珠を生み出すアコヤガイの養殖からスタートしました。
幸吉さんはまず、アコヤガイの住処に紐で括り付けた木や石、瓦などを入れて稚貝を付着させるところから始まります。見事にアコヤガイの稚貝は貼り付きましたが、ここで最初の困難がありました。タコやヒトデなどがアコヤガイの稚貝を食べてしまい、生き残る貝はほんのわずかでした。
幸吉さんは天敵対策などを行いなんとか、アコヤガイを養殖するめどがつきます。ちなみに鳥羽の真珠議会でウナギを食べる習慣があるのは、当時、ウナギがアコヤガイの稚貝を食べてしまう天敵だからそうです。
次は真珠の核になるものです。核というのは真珠を形成する際に足場となるものです。幸吉さんは丸く削った珊瑚や小石、瓦の破片などをアコヤガイに入れましたがここでも困難に直面します。アコヤガイが核を吐き出してしまうことでした。
いろいろと試した結果、貝殻を丸く削ったものであれば、吐き出す確率が少ないことが分かり、今の真珠核になっています。
そして、英虞湾の神明浦と鳥羽の相島で真珠養殖を開始したものの最後にして最大の困難が幸吉さんを襲います。それは赤潮でした。赤潮はプランクトンが異常発生する現象のことで、この赤潮により神明浦の5000個のアコヤガイが全滅してしまいました。
落ち込む幸吉さんを励ましてくれたのは妻のうめさんでした。そして、運命の日、1983年7月11日がやってきます。鳥羽の相島でうめさんがアコヤガイの貝殻にふくらみができてるのを見つけました。そう、真珠だったのです!!しかも5粒の半円真珠の収穫に成功しました!!これが世界初の養殖真珠の誕生の瞬間です!!幸吉さんが35歳の時でした。
その後、うめさんはひそかに赤飯を神前に捧げたのでした。このように困難を乗り越えて世界初の養殖真珠が生まれたのです!!その後、成功した日が真珠記念日となり、成功した地であった相島は観光地化され、ミキモト真珠島として今に至ります。
幸吉さんのおかげで今、僕たちが真珠を身に着けられるんですよね。そして、養殖真珠の元祖であるアコヤガイの真珠は今も結構美しいです。