真珠、時々パワーストーン

真珠を中心にパワーストーンや手造りアクセサリーなどを紹介したいと思います。僕の夢は真珠で日本を救うことです。真珠が愛と調和の宝石になれるように努力します。

真珠記念日!!

今日、7月11日は何の日か知っていますか?

そう、真珠記念日です!!

1893年、日本の有名ジュエリーブランドであるミキモトの創業者、御木本幸吉さんが三重県の相島という場所で世界で初めて真珠の養殖に成功した日にちなんで制定されました。当時は半円形の5粒の真珠でアコヤガイを使って成し遂げました。それは世界中の宝飾業界を震撼させ、世紀の大発明として、その名をとどろかせました。

では、日本の10大発明家の一人にも選ばれ、「真珠王」とも呼ばれた御木本幸吉さんはなぜこのような発明を生み出したのでしょうか?それは志摩の貝の絶滅を食い止めるためでした。そんな、御木本幸吉さんの発明の人生を探っていきましょう。

御木本幸吉さんは1858年に三重県の鳥羽に生まれました。当時、彼の両親は伊勢うどんの店である「阿波幸」を営んでおり、彼自身も店の手伝いをやっていたそうです。そんな彼の父、音吉さんは機械類の発明、改良のスペシャリストだったそうで1881年粉挽き臼の改良により三重県勧業課の表彰を受けるほどだったそうです。

引用元 https://loco.yahoo.co.jp/place/g-IN--v9Ovh7c/

そんな幸吉さんの人生の転換点となったのは米穀商となった20歳のころに東京と横浜を訪れた時でした。中国人が美しい白い小さな玉を売っており、その玉が超高額な値段で売買されている光景を目にしたのです。彼の目に映った光景は衝撃的なものだったのでしょう。こうして彼は真珠という美しい玉との運命的な出会いを果たしたのです。

引用元 https://www.gstv.jp/tv-info/uruwashi201812.html

そんな彼に突き付けられたのは真珠貝の絶滅の危機でした。世界の装飾品市場では、天然の真珠が高値で取引されており海女が一粒の真珠を採ってくると高額の収入を得られる事から、志摩ばかりでなく全国の真珠貝は乱獲により絶滅の危機に瀕していたのです。これを危惧した幸吉さんは妻のうめさんと共に1890年に神明浦と相島で養殖実験を開始しました。

しかし、それは一筋縄ではいきませんでした。貝を食べるヒトデやタコなどの天敵やプランクトンが異常発生し、海産物が死んでしまう赤潮など様々な困難を乗り越えて1893年、ついに半円真珠が出来上がったのです!!その3年後には特許を取得しました。

引用元 https://www.cgl.co.jp/latest_jewel/tsushin/15/18.html

その後、様々な実験を重ね、1905年に真円真珠の養殖に成功しています。今、私たちが知っている真珠です。それは、かの有名な発明家、エジソンをもうならせました。エジソンは幸吉さんに向かって、「これこそ真の真珠だ。わたしにはできなかったものが2つだけある。ひとつはダイヤモンド、もうひとつは真珠だ。あなたが動物学上不可能とされていた真珠を発明し、完成させたことは、まさに世界の驚異だ。」と話したのです。また、幸吉さんはこんな名言を残しています。「世界中の女性を真珠で飾ってごらんにいれます。」これは天皇に対して発した名言で、その名言通り現在は、世界中の女性が真珠をつけています。

引用元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E6%9C%A8%E6%9C%AC%E5%B9%B8%E5%90%89#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:MIKIMOTO_Kokichi.jpg

以上、幸吉さんの発明の人生でした。こんなにも美しい真珠を開発した御木本幸吉さんはまさに、宝飾界の神といっても過言ではないでしょう!!

いやー真珠はいつ見ても美しい!!

もし、御木本幸吉さんが居なかったら日本の宝飾品業界は発展していなかったでしょうね。というわけでMMDでこんなものを作りました。

真珠のオブジェです!!綺麗ですよね。というわけで真珠記念日でした!!